- 区分/種別
- 国指定-史跡
- 所在地
- 壬生町表町
- 時代
- 近世-江戸時代
- ルート
- 聖地日光へつづく道
日光道中壬生通沿いにあり、江戸日本橋から23里(約90キロメートル)の地点につくられた。塚にはエノキが植えられており、四方が約9メートルある。現在、西側の塚のみ残されており、行き交う車や人たちを見守り続けている。
日光社参時に将軍を出迎えた場所
江戸時代、このあたりは「江戸口」と言われ、ここから先が壬生城下だった。将軍の日光社参の際、壬生城主はここで出迎えたと言われる。三浦氏が城主だった頃まで、大手門は江戸口へ通じる南側にあったが火災のため焼失。松平氏時代の元禄年間に、城東側に二層の大手門と丸馬出がつくられた。
最も多くの一里塚が残る街道
起点の日本橋から数えて23里目(約96km)にあたる。かつてはエノキの大木がそびえていたが枯死し、現在のエノキは近年の植栽によるもの。壬生一里塚より江戸側の飯塚一里塚(小山市)には両側に塚のみ残され、日光側の稲葉の一里塚は西側のみ残され、現在はエノキが植えられている。