- 区分/種別
- 国指定-史跡
- 所在地
- 小山市梁(おやま縄文まつりの広場)
- 時代
- 縄文時代
- ルート
- くらしを支えた水と川
田川の西にある旧石器から平安時代にかけてのムラや墓地があった遺跡。特に約4,000年以上前の縄文時代の大きな集落跡からは、飲み水をくんだり、木の実をさらした水場遺構(みずばいこう)などが見つかっている。
水確保のはじまりを知る
縄文時代中期前半から後半(4,600年〜4,300年前)、ここには大きなムラが営まれていた。後期初頭(4,000年前)になると、谷の水を利用して木の実のアクぬきのための水さらし施設がつくられた。水を積極的に利用するところから、縄文文化の水準の高さを知る貴重な遺跡である。
縄文人の生活がわかる
水場遺構は小川の岸を幅約12m、奥行き約17mのU字状に掘り込んで造られており、縄文人がどのように水を利用していたかを知ることができる。その他、縄文人たちの暮らしの痕跡である環状盛土遺構などの解説はガイダンス施設「おやま縄文まつりの広場」で知ることができる。