- 区分/種別
- 国指定-史跡
- 所在地
- 小山市城山町1丁目ほか
- 時代
- 中世-室町時代
- ルート
- 中世下野の武士団
名家小山氏一族の居城。祇園城跡の築城時期は不明だが、小山氏の本拠とした城と考えられている。土塁や規模の大きな堀切がよく残されている。北には菩提寺であり墓所のある天翁院(てんのういん)がある。鷲城跡の築城時期も不明だが、14世紀後半頃にはすでに築かれていたと考えられる。小山義政の乱(1380〜82年)の舞台ともなった。また鷲城の名の由来となった鷲神社が鎮座している。中久喜城跡の築城時期も不明。祇園城と同族である結城氏の居城をつなぐ重要な城でもあった。また、菩提寺である天翁院は当初、万年寺という名で中久喜城内にあったとされる。
伝説が残る大イチョウは市指定天然記念物
祇園城跡の「塚田曲輪」一角にそびえる樹齢900年余りという大イチョウは、市指定天然記念物。伝説では、祇園城落城の際に姫が井戸に身を投げ、家臣が供養のため側に差したイチョウの小枝が大きくなったという。姫の無念の思いが宿り、決して実をつけないとの伝説も。
地名にもなった広大な城郭
鷲城跡には中城と外城(とじょう)の2つの曲輪が残っている。内城と外城は大きな土塁と堀で隔てられており、堀は幅10m、深さ6mで、長さ70mにもなり迫力がある。中城西奥には鷲神社が建ち、北東には高さ5.5mの櫓台跡が残る。外城は現在住宅地になっているが、今も「外城」という地名が使用されている。