- 区分/種別
- 指定なし
- 所在地
- 小山市乙女
- 時代
- 近世-江戸時代
- ルート
- くらしを支えた水と川
慶長五(1600)年、会津の上杉景勝を討つために武器などを思川から陸送したのがはじまりと言われている。以後、日光東照宮の改修(日光普請)のための資材や米などの物資の輸送の重要拠点として繁栄した。
思川舟運の一大拠点として繁栄
乙女河岸は早くから思川を利用した物流の拠点だった。この河岸が近接の網戸(小山市)や友沼(野木町)河岸とともに栄えたのは、小舟でしか行き来できなかった上流部から運ばれる物資をこれらの河岸で大型の高瀬舟に積み替えて江戸を往来する中継機能を担っていたためであった。
河岸で生きた人びとの信仰を辿る
河岸跡の背後(東側)にある集落の公民館の隣には、舟運の無事を祈った大杉神社が祀られている。境内の天保2(1831)年に「乙女川(河)岸女人構(講)中」が建立した十九夜塔の上部には、丸彫りされた石造の如意輪観音像がある。また、東の台地には河岸で活動する人びとの崇敬を集めた乙女八幡宮がある。