- 区分/種別
- 国指定-史跡
- 所在地
- 小山市中央町1丁目
- 時代
- 近世-江戸時代
- ルート
- 聖地日光へつづく道
元和8(1622)年、徳川将軍家による日光への参拝(日光社参)の際に休憩・宿泊する施設として祇園城の一角に設けられた。しかし、4代将軍家綱以降、財政難などの理由で日光社参はおこなわれず、またその間に大風などの被害もあって、天和2(1682)年、古河藩によって解体された。
徳川将軍家の休憩・宿泊所
江戸時代初期には徳川家康の重臣・本多正純の居城となるが、元和5(1619)年に廃城。その後、元和8(1622)年に徳川将軍家の日光社参の際の休憩・宿泊所として「小山御殿」が建てられ、天和2(1682)年に古河藩によって解体された。
中心市街地に残された貴重な自然空間
御殿は厳重な造りをしており、周囲に堀を廻らせて二重の土塁を築き、16カ所の御番所を設けていた。現在、小山御殿の跡は広場として、建物配置や堀、土塁を平面表示するため、着色コンクリート塗装などを行い整備した。また文化活動をはじめ、さまざまな学習・体験の場を提供している。