- 区分/種別
- 国指定-史跡
- 所在地
- 大田原市湯津上
- 時代
- 古墳時代
- ルート
- しもつけの夜明け
4世紀に造られたと考えられる前方後方墳。元禄5(1692)年、水戸黄門の名で有名な徳川光圀が命じて、日本初の学術的な発掘調査が行われた。上侍塚古墳は那珂川流域で最大級の規模をほこり、下侍塚古墳は「日本で一番美しい古墳」と称されている。
日本で最初の発掘調査を実施
元禄5(1692)年、先の水戸藩主であり、この時隠居していた徳川光圀の命により、日本で最初の学術的な発掘調査が行われた。調査を指揮したのは「助さん」こと佐々介三郎宗淳。松を害虫から守るために行われる「コモ巻き」は季節の風物詩になっている。
「日本一美しい」と称された古墳
上侍塚古墳の墳丘の長さは114m、下侍塚古墳は84mあり、栃木県内の前方後方墳の中でそれぞれ2番目と4番目の大きさ。墳丘上の松は光圀の命により、発掘調査後、盛土の崩落を防ぐために植えられたもので、日本初の史跡整備と言われている。その姿は「日本一美しい古墳」とも言われている。