- 区分/種別
- 指定なし
- 所在地
- 大田原市余瀬
- 時代
- その他の時代
- ルート
- 下野の「おくのほそ道」
那須与一が文治2(1186)年に建立したという寺院跡。旧暦4月9日、芭蕉たちは招かれてこの寺を訪ねた。現在『おくのほそ道』で詠んだ「夏山に 足駄を拝む 首途哉(かどでかな)」の句碑が建立されている。
門弟兄弟の親族が守る修験道の寺院
永生年間(1504〜21)頃、烏山城主・那須資実(すけざね)が連れてきた僧無室(むしつ)が修験道の寺院として再興。芭蕉たちが訪れた当時の住持(寺を管理する主僧)で黒羽藩士でもあった津田源光(げんこう)の妻は、鹿子畑高明(浄法寺高勝・鹿子畑豊明の父)の次女を妻としていた。
跡地に立つ句碑に芭蕉滞在を思う
住持夫妻の招きで訪れた芭蕉は、行者堂に安置された一本歯の高足駄を履く役行者(えんのぎょうじゃ)像を拝し出立の思いを新たにした句を詠んだ。跡地には、黒羽町観光協会(当時)が昭和34(1959)年に建立した句碑があり、書は夏目漱石の弟子で旧制第一高等学校長などを歴任した安倍能成(よししげ)。