- 区分/種別
- 市町指定
- 所在地
- 大田原市余瀬
- 時代
- 近世-江戸時代
- ルート
- 下野の「おくのほそ道」
浄法寺高勝の弟で芭蕉の弟子だった鹿子畑豊明(とよあき/俳号・翠桃)の屋敷跡近くにある鹿子畑家の墓地。旧暦4月3日、芭蕉と曾良はここで「那須の黒羽」最初の宿泊をし、通算で5泊した。
身分の垣根を越えた蕉門俳壇による歌仙
芭蕉が「おくのほそ道」の旅で最初に「歌仙」を巻いたのは、余瀬の鹿子畑翠桃(黒羽城代家老浄法寺高勝の実弟)邸においてだった。歌仙とは、長句(五・七・五)と短句(七・七)を交互に36句連ねたもの。鹿子畑邸周辺に住む俳人や文人たちが集い、歌仙を巻き芭蕉たちと交歓した。
墓碑から漂う風雅の薫り
墓地の広さは東西約6.2m、南北約9mで現在は水田と畑に囲まれている。鹿子畑豊明(翠桃)は兄の高勝とともに江戸在住時に芭蕉の門人となった。墓地には無縫卵形の塔身のみの翠桃墓碑のほか、父や妹の墓碑が並び、近くには歌仙の全貌を示す解説版が立てられている。