- 区分/種別
- 国指定-重要文化財
- 所在地
- 大田原市南金丸
- 時代
- 中世-安土・桃山時代
- ルート
- 下野の「おくのほそ道」
4世紀末の創建とも、征夷大将軍・坂上田村麻呂が八幡宮にしたとも伝えられる。現在の楼門は寛永19(1642)年の建立。旧暦4月13日、芭蕉たちはここをくぐり参詣したのだろう。
地元民に誘われて参詣
好天に恵まれた元禄2(1689)年4月13日(新暦5月31日)、鹿子畑邸の歌仙興行にも出席した津久井翅輪(しりん)に誘われて、ここ八幡宮に参詣した。芭蕉は地元の人から、那須与一が屋島の戦いで扇を射る時に心の中で祈念した神社がここだと聞き、『おくのほそ道』でその話を記している。
大関氏の氏神として崇敬
戦国時代以降、黒羽城主大関氏の氏神として崇められていた。芭蕉が訪れた当時、本殿と楼門は再建されてから40年余りが経っていたが、現在目にできる社殿を芭蕉も参拝していたと想像したい。平成26(2014)年3月、境内が「おくのほそ道の風景地」のひとつとして国指定名勝となった。