- 区分/種別
- 市町指定
- 所在地
- 那須塩原市二つ室ほか
- 時代
- 近現代-明治時代
- ルート
- 近代化遺産からのメッセージ
標高248.5メートルの赤松が生い茂る丘。中腹には、那須野が原開拓の功労者である矢板武(やいた たけし)や印南丈作(いんなみ じょうさく)ら5名の墓があり、那須野が原を見守りつづけている。
印南丈作が愛した場所
矢板武と印南丈作は「不毛の原野」と言われた那須野が原の開拓に尽力し、明治18(1885)年に那須疏水の開削を実現させ、豊かな農地に変えた。原っぱが広がる那須西原において、この丘は松が茂っていた場所であり、印南丈作はこの地を深く愛していた。そして本人の生前の希望により、この地に葬られた。
開拓者の偉業を追慕する墓前祭
印南丈作の死から30年後の大正9(1920)年に国から従五位の位階が贈られ、それを記念して墓地のすぐ上の場所に「贈従五位の碑」が建立された。開拓者の偉業を永遠に継承することを目的に、毎年4月7日には墓前祭が行われている。