- 区分/種別
- 国指定-史跡
- 所在地
- 那珂川町三輪
- 時代
- 古代-平安時代
- ルート
- 中世下野の武士団
平安時代中期に築かれたと考えられる那須氏初期の本拠地。那須与一が暮らしたという言い伝えが残されている。春は桜、夏は方形の居館跡(きょかんあと)の水田と周囲の緑が美しい。
那須氏の発展を見届けた城
那須氏の祖である須藤権守貞信が築城したと言われている。源平合戦の「屋島の戦い」で扇の的を射抜いたことで名高い那須与一は、嘉応元(1169)年、那須資隆の十男としてここで生まれたと推測されている。
東日本屈指の大きさ
土塁は西側の一部が失われているものの、大規模な土塁は東・南・北側に残り、堀を含んだ居館跡の面積は東日本屈指で原形をとどめている。南側と東側の土塁が切れた部分は門があったと推定されている。南北には幅10mの堀が残るが、東西は埋められ水田になっている。古代末から鎌倉初期の館の特徴がよく残っている。