- 区分/種別
- 指定なし
- 所在地
- 日光市山内
- 時代
- 近世-江戸時代
- ルート
- 下野の「おくのほそ道」
寛永3(1626)年水戸藩主・徳川頼房(よりふさ)の養母である英勝院(えいしょういん)が妹の菩提を弔うために建立した寺院。旧暦4月1日の昼頃、芭蕉たちは東照宮を拝観するため、こちらを訪れている。
そぼふる小雨の中日光へ
元禄2(1689)年4月1日(新暦5月19日)、芭蕉と曾良は小雨が降る中、辰の上刻(午前6時前後)に鹿沼を出立。壬生通り(例幣使道)を今市まで進み、日光道中の杉並木を歩きながら、午の刻(午前11時30分頃)に日光へ到着。雨も止み、紹介状を持って養源院へと向かった。
水戸徳川家と縁の深かった寺
道路から見える2塔の石塔のうち、大きいものが英勝院(おかちの方)、小さいものが養源院(おろくの方)の供養塔である。いずれも徳川家康の側室で、寛永3(1626)年に英勝院が養源院の菩提を弔うために創建された。寺は歴代の水戸家の宿坊で、英勝院が水戸家始祖・頼房の育ての親だったことと関係があったと思われる。