- 区分/種別
- 国指定-重要文化財
- 所在地
- 日光市山内
- 時代
- 近世-江戸時代
- ルート
- 聖地日光へつづく道
8世紀末、勝道上人(しょうどうしょうにん)が男体山を祀る祠をたてたのがはじまりとされる。日光における山岳信仰の中心として古くから崇拝され、日光三山(男体山・女峰山・太郎山)を神体山(しんたいさん)として祀っている。中世には多数の社殿が造られた。また江戸時代に入り、徳川幕府による日光東照宮等造営とともに新たに本殿や社殿が造られた。
聖地日光を出迎える朱塗りの神橋伝説
天平神護2(766)年3月、勝道上人一行が大谷川のほとりにたどり着き川を渡ろうとしたが激流のため渡ることができなかった。そこで上人が祈念すると、川の北岸に「深沙大王」と名乗るひとりの神人が現れ、手から放たれた赤と青の蛇が虹のように橋をつくり、その背に山菅が生えたので、一行は急流を渡ることができた。
中世日光山の隆盛をしのぶ別宮滝尾神社
清冽な空気に満ちた境内はここだけではなく、別宮滝尾神社でも体感できる。稲荷川沿いの通称「滝尾古道」を上ると、白糸の滝の先、「運試しの鳥居」の奥に朱塗りの社殿が見えてくる。田心姫命(たごりひめのみこと)をご祭神に、本殿背面に扉がありここからご神体である女峰山を拝していた。