- 区分/種別
- 市町指定
- 所在地
- 那須町高久
- 時代
- 近世-江戸時代
- ルート
- 下野の「おくのほそ道」
旧暦4月16日、芭蕉たちは黒羽藩領高久の大庄屋(おおじょうや)の高久家に滞在したことを記念し、宝暦4(1754)年に高久家北の裏山に建てられた。その時の句文にちなんで「杜鵑(とけん)の墓」とも称された。
湯本までの道半ばで詠まれた芭蕉と曾良の句
元禄2(1689)年4月16日(新暦6月3日)、余瀬の鹿子畑翠桃邸を出立した芭蕉と曾良は雨降りの中、高久へ到着。大庄屋をつとめる高久家の屋敷に宿泊した。滞在中、芭蕉が句をしたためて当主に与えた懐紙は、今も高久家に伝えられている。ここにしたためた句は、高久家近くの高福寺境内に曾良の句とともに刻されている。
芭蕉たちの宿泊を記念した石碑
芭蕉たちをもてなした当主の孫が建立したこの石碑は安山岩を用いている。上は切妻屋根の形をし、正面には「芭蕉庵桃青君之碑」(「桃青」は芭蕉の前に用いていた俳号)と刻字されている。碑に向かって右側面には、芭蕉の生い立ちや人柄、高久家へ宿泊したことなどが刻まれている。