- 区分/種別
- 市町指定
- 所在地
- 栃木市皆川城内町(皆川城址公園)
- 時代
- 中世-室町時代
- ルート
- 中世下野の武士団
室町時代中頃、長沼(皆川)秀宗によって築かれた。城のかたちから「ほら貝城」とも呼ばれている。現在公園として整備され、桜の名所としても知られている。近くには、皆川氏の菩提寺である金剛寺がある。
皆川氏の拠点となった場所
天正18(1590)年の豊臣秀吉による小田原征伐では、長沼(皆川)広照は北条方として小田原城に篭城。皆川城は豊臣方の上杉景勝勢に攻められ降伏したが、広照は徳川家康を介して豊臣秀吉に所領を安堵されたという。翌年、広照は本拠を栃木城に移し、皆川城は廃城となった。
山頂から栃木市街が一望できる
山の形状を利用した城で、山麓の皆川地区公民館は館があった場所と伝わり、土塁と空堀が残る。現在、皆川城址公園として山全体が公園として整備されている。また桜の名所となっており、見張り台があったとされる山頂からは栃木市街地が一望できる。