- 区分/種別
- 市町指定
- 所在地
- 佐野市吉水町(普応山興聖寺)
- 時代
- 中世-鎌倉時代
- ルート
- 中世下野の武士団
鎌倉時代初期、佐野国綱が岩崎義基(佐野氏一族とも木曾義仲の子どもという説もあり)のために築いた城。水が豊富に湧くという伝承が残り、興聖寺(こうしょうじ)境内を取り巻くように土塁がよく残されている。
佐野氏の拠点だったとされる城跡
佐野氏が唐沢山城に移る前の拠点だったと考えられている。別名「興聖寺城跡」とも呼ばれ、現存する城跡は興聖寺の境内となっている。慶長7 (1614) 年、唐沢山城からの移転のため佐野城築城が始まるが、佐野氏の改易により未完成となった。このため佐野市内には、佐野氏が拠点とした清水城、唐沢山城、佐野城の3つの城跡が残る。
かつて大規模だったと推測される城
今に残る城の痕跡はおよそ120m四方だが、ある時期には最大で約800m四方の構えを持つ大規模なものであったと考えられている。区画整理前の地図と古地図、小字名を比較すると、近代以降の地形と一致している。清水城跡からは東に唐沢山城を望むことができる。