- 区分/種別
- 国指定-史跡
- 所在地
- 足利市樺崎町(樺崎八幡宮)
- 時代
- 中世-鎌倉時代
- ルート
- 中世下野の武士団
鎌倉時代初期、源姓(げんせい)足利氏2代義兼によって創建された寺院跡。足利氏の氏寺・鑁阿寺(ばんなじ)に対して「奥の院」と呼ばれていた。境内跡には、源姓足利氏の廟所(びょうしょ:祖先の霊を祀った場所)として栄えた庭園の池が残る。
勝利祈願のために創建
奥州藤原氏との戦の勝利を祈願するために、足利義兼が鎌倉時代初期に創建した。奥州平泉での戦いの際、毛越寺や中尊寺などの華麗な浄土庭園を目にした義兼は、樺崎の地にも極楽浄土の世界を表した浄土庭園を造ったと言われている。
浄土庭園を保持していた寺院
発掘調査により、樺崎寺が鎌倉時代初頭の浄土庭園を持つ寺院であることが分かった。八幡宮社殿が建つ山麓には多宝塔跡・供養塔跡・廟所跡が東を向いて並び、その前方の低地には広大な池、周辺には御堂が建ち並んでいた。現在、浄土庭園は復元され、八幡山の崖を削って造られた御堂跡が残る。