- 区分/種別
- 市町指定
- 所在地
- さくら市上阿久津
- 時代
- 近世-江戸時代
- ルート
- くらしを支えた水と川
江戸から明治中期にかけて、奥州道中から鬼怒川を通じて江戸への物資輸送で賑わった阿久津河岸(あくつかし)に鎮座。船頭たちの守護神を祀っているため、当初の境内は船の形を模していたという。
江戸への舟運に貢献した小鵜飼船
江戸時代、神社が鎮座する阿久津河岸は奥州道中の鬼怒川渡河点であり、水陸交通の要地だった。陸路で運ばれた東北諸藩の年貢米は、ここから船で江戸へ運ばれていった。鬼怒川上流部で使われていたのが小鵜飼船(こうかいぶね)という平底の箱船で、長さ約7間(約13m)。米俵を1度に25〜30俵積めたという。
河岸繁栄を今に伝える神社群
船玉神社のある上阿久津地区には、河岸の繁栄をしのぶ神社がいくつかある。神社の北に祀られた金比羅神社も舟運の安全を祈った神社。県道氏家宇都宮線(旧奥州道中)上阿久津交差点の東には、江戸後期から明治時代にかけて、さまざまな霊験による吉兆が起こり、河岸の舟乗りをはじめ、多くの参拝者が訪れたという与作稲荷神社が祀られている。