- 区分/種別
- 指定なし
- 所在地
- 塩谷町佐貫〜真岡市
- 時代
- 近世-江戸時代
- ルート
- くらしを支えた水と川
明暦2(1656)年、水不足解消と新田開発のため、宇都宮藩が旧押上村(現・さくら市)の鬼怒川から現在の高根沢・芳賀両町東部にかけて切り開かれた農業用水。現在は、塩谷町佐貫の鬼怒川から水を取り入れ、真岡市まで整備されている。
市の堀用水を手がけた男・山崎半蔵
正保3(1646)年、宇都宮藩領の土室(現・高根沢町飯室)などの各村周辺が水不足で開田ができなかったため、藩命を受けた宇都宮藩士の山崎半蔵が市の堀用水の開削工事に着手し明暦2(1656)年に完成するも、その半年後に急逝。墓は用水を見守るように飯室の地に建っている。
「市の堀」開削に想いを馳せる
現在の市の堀用水は塩谷町佐貫の鬼怒川から取水しているが、昭和41(1966)年まではさくら市押上の鬼怒川から取水していた。取り入れ樋門はマムシが出るので見学する際には気をつけたい。また、山崎半蔵の位牌を守る量山寺(高根沢町亀梨)には、昭和31(1956)年建立の「市の堀開削三百年供養塔」がその業績を今に伝えている。