いにしえの回廊
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芭蕉一宿之跡碑

ばしょういっしゅくのあとひ

芭蕉一宿之跡碑

区分/種別
指定なし
所在地
塩谷町玉生
時代
近世-江戸時代
ルート
下野の「おくのほそ道」
文化財概要

元禄2(1689)年旧暦4月2日、芭蕉たちは「那須の黒羽」に向けて日光を出立するも、激しい雷雨に遭い、玉生宿(たまにゅうしゅく)の名主の家に泊めてもらった。現在、跡地に建てられているのがこちらの石碑。


文化財エピソード

突然の雷雨で地元の名主宅で一泊

元禄2(1689)年4月2日(新暦5月20日)、日光を出立し「那須の黒羽」へ向かった。お昼頃、玉生(塩谷町)付近で激しい雷雨に遭遇。芭蕉と曾良は、地元の名主・玉生(たまにゅう)家へ泊めてもらった。大田原通会津道は雨が降ると泥だらけの難路になってしまうためであった。

巨石の端には、船をつないでおくために開けたといわれる穴があり、かつてこのあたりに渡船場があったことを示しているという(塩谷町船生)
文化財エピソード

心温まる挿話で光る曾良の句

翌日、朝一番に玉生を出た芭蕉と曾良は那須野へ。そこで草刈り中の農民に馬の借用を懇願したところ快諾。芭蕉たちの後を2人の子供がついてきて、そのうちの1人が「かさね」という少女。その名に惹かれた曾良は句を詠んだという。激しい雷雨で一泊を余儀なくされなかったら出会わなかったであろうエピソードである。

「かさね」との出会いの場面を描いた与謝蕪村「奥の細道画巻」(複製、大田原市黒羽芭蕉の館蔵)

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