- 区分/種別
- 国指定-史跡
- 所在地
- 真岡市物井
- 時代
- 近世-江戸時代
- ルート
- くらしを支えた水と川
元禄12(1699)年、小田原藩主大久保家の分家・宇津家が設置した陣屋(役所)跡。文政6(1823)年、小田原藩主の命を受けて二宮金次郎(尊徳)がやってきて復興に貢献した。明治維新で陣屋は廃止された。
侍屋敷の名残がある陣屋跡
二宮金次郎(尊徳)は37歳から62歳にかけて、ここで生活していた。その頃の陣屋は広さが約100m四方で、周囲を土塁で囲み、その中に主屋をはじめとした建物が建てられていた。土塁の高さは約1mで南の虎口は枡形で構成されている。また、外側三方に堀(水路)を廻らせていた。
円熟期の尊徳の業績をしのぶ
陣屋跡から南約100mの蓮城院には、二宮金次郎の墓がある(真岡市指定史跡)。ここには、二宮尊徳の遺髪を納めた尊徳の墓のほか、娘の文子、桜町領主の旗本宇津家、同僚の横山周平、弟子の吉良八郎夫妻の墓碑がある。尊徳没後50年の明治38(1905)年には、尊徳を祀った小祠が桜町二宮神社として再建、改称され、命日の11月17日に祭礼が執り行われている。