- 区分/種別
- 市町指定
- 所在地
- 那須町寄居
- 時代
- 古代-平安時代
- ルート
- 下野の「おくのほそ道」
下野国と陸奥国の境に祀られた神社。女神は内(国を守る)を、男神は外(外敵を防ぐ)を守るという信仰から、下野(栃木)・陸奥(福島)側にそれぞれ自国側に「玉津島明神」(女神)を祀った。芭蕉たちはここを越え、みちのくへと歩いていった。
「二所ノ関」で護る国境の神たち
「関明神」とも、両国境に玉津島神社と住吉神社が対に祀られていたことから(文献により逆説もある)「関の二所明神」と言われていた。この通称と福島県側にあった茶屋「南部屋」の主人が盛岡出身だったこともあり、南部藩主お抱えの力士が創設した相撲部屋「二所ノ関」の名が付けられたという。
江戸の昔も今も境を見守る神社
遊行柳を見た後、芭蕉と曾良は21泊22日の下野路を経て陸奥に入り、一路北へ進んでいった。福島県側の境神社境内には、白河の関でつくった句「風流の 初やおくの 田植うた」を刻した碑や奉納した石灯籠などが立ち並ぶ。屹立した杉とともに、清冽な空気に包まれている。