
- 区分/種別
- 指定なし
- 分類
- 軍事
- 所在地
- 大田原市南金丸
- 時代
- 近現代-明治時代【明治43(1910)年建設】
- 見学
- △ 【飛行機掩体格納庫:那須野ヶ原カントリークラブの敷地内のため、一般公開はしていない。見学については要相談】
【飛行場跡碑:大田原市立金田南中学校の敷地内のため一般公開はしていない。見学については要相談。土日祝日は不可】 - 連絡先
- 0287-23-1101(飛行機掩体格納庫:那須野ヶ原カントリークラブ)
0287-22-3205(飛行場跡碑:大田原市立金田南中学校)

明治41(1908)年、宇都宮市に第14師団が設置されると演習場が必要になり、明治43(1910)年に金丸原に屋舎の建設が始まり、2年後に竣工した。その後、陸軍航空隊が本格的な軍備拡充を始めた昭和9(1934)年に、所沢陸軍飛行学校の不時着陸場となり、翌昭和10(1945)年に同校金丸原分教場となったのが金丸原飛行場の始まりと伝わっている。
飛行場には、現在の大田原市立金田南中学校付近から国際医療福祉大にかけて約1900メートルの第1滑走路があり、那須野ヶ原カントリークラブ付近から同大にかけて約1300メートルの第2滑走路があった。第1滑走路があった場所の南に位置する金田南中学校の校庭の一角には、金丸原飛行場の歴史を伝える石碑がある。
飛行場の敷地内に建設された飛行機掩体格納庫は、一般には掩体壕と呼ばれ、上空から飛行機を発見されないように隠し、空襲時には爆風や機銃弾から飛行機を守ることが目的だった。掩体格納庫壕は強度を確保するため厚さ60センチのコンクリート製のかまぼこ型の壁で覆われ、内部には戦闘機3機が格納できたとされる。現在は「那須野ヶ原カントリークラブ」の倉庫として活用されている。